初蝉や
初蝉や プリンの好きな 脳外科医
梅雨が明け朝の散歩道では、蝉たちがわずかな生の瞬間を競い鳴きあっています。
数年前のこの時期は温帯系のアブラゼミやチッチゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミが主だったが、昨今では南方系の圧倒的かしましい声で叫びまくるクマゼミがメインだ。
この蝉の鳴く頃になると思い出すのが、熊本日赤病院のOガタ先生のことだ。
10年前、あなたは80歳に近い私の母に静脈瘤の摘出手術を勧めましたよね。
そして手術前に120万円という金額を書いた小さな紙を僕にそっと渡したのは覚えていますか?
僕はそれは手術代金だと勘違いして手術後に病院の事務所に払いにいったら手術代は40万円でしたよ。
それから手術は見事失敗でしたよね。
あれから母は全ての記憶を失くし、寝たきりのまま生きていますよ。
もう90歳になります。
Oガタ先生も母の記憶をぬぐい去ってまだ医者をやっていますか?
医は仁術が医は算術になってしまったと言われてずいぶん久しく、今や医学界も仁術系の医者が、口角泡を飛ばすだけの青い嘴の医療事業者にとって代わられ、だんだん希少種になってきているようですね。