インドの喰い倒れ
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インドの喰い倒れ
まえがき & おことわり
「インドの喰い倒れ」は会社を倒産させ、財産、仕事、社会的信用の全てを失った55歳のおっさんが、カレーの仕事にめぐり合い、1年後にはリックを
背負ってインド亜大陸のデリー空港(写真)に
一人立っていた、そこから始まる物語です。
金も言葉も肝っ玉も情けないほど心細い・・・
そんなおっさんが五感で味わった素のインドをご紹介します。
とはいってもおっさんの思い込みと空想癖がブレンドされていますので、まともな旅行者の方は、この日記をガイドブックの代わりに使うなどという危険なことはしないでください。
またお話の途中にも出てくると思いますが、撮り貯めた貴重な写真の入ったデジカメを
掏られてしまい、残念ながら掲載できません。
今回は稚拙な文章を補うためにフリーの写真から添付させていただきました。
写真の提供者の皆様、そして読者の皆様、その旨、このまえがきにてお断り
いたしますので予めご了承ください。
またこの「インドの喰い倒れ」は以前ブログなどで何度か上げさせていただきましたが、途中で挫折してしまいました。
今回はおっさんに無事日本の地を踏ませたいと。。。
2013.03.15 作者
きっかけは軽い一言
「僕、来月、店を閉めて、エエッ、ひと月ほどインドへ行ってこようと思ってるんです」
お客様のいない店内の奥の厨房で、明日のカレーの仕込みの手を休めて突然
そう呟くように言ったのは、誰あろう、熊本のインドカレーのルーツであり、
おっさんのお師匠様でもある矢崎氏であった。
ちなみに言葉の中にエエッという合いの手が入るのは彼が考え事をしながら話している時の癖で、その時彼の視線は左45度のなにもない空間に泳いでいるのだ。
「えっ、ひと月もお店閉めるんですか」
「うーん1月は寒いし、お客も少ないしねぇ。
それにエエッ、僕インドで少し考えたいこともあるしねぇ。
そうだおっさんも一緒にいかない!」
またまた簡単におっしゃる。でもこの軽妙な言葉のやりとり、どっかで・・・
唐突に5年前の記憶が甦る。
「ねぇおっさん、ランタン谷(写真上)、行きません?エエッ、これから雨季に入るんですが、一番綺麗な時期ですよ」
ネパール料理の店「カトマンドゥ」でお客としてお昼のチキンカレーを食べていたおっさんに店主の矢崎氏が声を掛けてきた。
「ランタン谷?」
カレーをすくうスプーンを止めていぶかしがるおっさんに
矢崎氏はこともなげにおっしゃった。
「いやだなー、ヒマラヤのランタン谷ですよ。1週間ほどの軽いトレッキングですけど・・・お休みとれます?」
この時は矢崎氏の軽妙なお誘いについひょいと乗ってしまい、往復1週間の
かるーいトレッキングで4000mの氷河までお散歩に行ってきた訳でした。
幸いおっさんは高山病には罹らなかったものの下痢や親指大の雹、眠れぬ寒い夜、
慣れぬ山歩きで痛めた足を挽きずりながら下山したことなどなど、
思い出になってしまえば楽しかったことばかりだが・・・
今度はインドにひと月だとおっしゃる。
時間的にも金銭的にもとても無理だと抗ってみる。
「なあに、インドは物価がべらぼうに安いし、
格安の航空券を使えば15万もあれば
やっていけますよ。
それにおっさんはインド料理の店始めようと思ってるんでしょう。
だったらエエッ、絶対に行っておくべきですよ。
ああっ朝食べるサモサ(写真)とチャイの
美味しかったこと。
デリーに美味しいベジタリアンレストランがあったなぁ。
夜の屋台で食べるシシカバブ―(写真)は最高ですよ。
4つ星ホテルで食べたインデアンフーズのバイキングなんて
500円で食べ放題だしぃ。。。」
ちなみにサモサとはスパイスのきいたポテトが入った大きな揚げ餃子みたいなもの。
シシカバブ―とはスパイス入りマトンのひき肉のソーセージを焼いたもの。
食べ物の話から攻められるとおっさんの弱いところ、
目の前に料理のイメージが浮かび、
口内にはその味や食感まで広がりだし、
胃は受け入れ態勢を作ってしまう。
そして全ての思考回路が食欲に向かって
なりふり構わず暴走し始める。
いやいやいけない安易にお話しに乗っては。
その時はさすがに年の功、かろうじて返事を保留したのだが、
帰りの車を運転しながら浮かんでくるのはインドの街角やレストランで
インド料理を食べまくっている自分の姿しか浮かんでこない。
「1月からインドに行くことになったから!」
家に帰り着いた途端、奥さんにそう叫んでいる自分にびっくりのおっさんだった。。。
「・・・・僕、一緒に行けないかもー」
せっかちの前にチョウーのつくおっさんは紹介された旅行代理店で、格安航空券の手配も済ませ、矢崎師匠に報告したらこともなげにそうおっしゃる。
「いや、インドへは行くことは行くんですが、カミサンの友達の出産日が延びそうで・・・エエッ・・・」
奥さんのお友達の出産日と旅行日程との関係がどうしても結びつかずに
けげんな顔のおっさんに、
「僕らは出産のときは病院や産婆さんには頼まず、仲間内で赤ちゃんを取り上げているんですよ。
うちのかみさんの時だってみんなに手伝ってもらって。
二男の出産の後、かみさんの胎盤を家族みんなで食べたんですよ。
エエッ、娘なんか久しぶりのお肉だーって喜んじゃってぇ。
でもあれ結構美味しいんですよ、豚のバラ肉みたいで・・・」
おっさんの大脳がその胎盤の味を感じ始めたのを慌てて振り切って、話題を元に戻す。
「ということは、胎盤じゃなかった、インドには僕一人で行くことになりますよね」
「エエッ、そういうことになりますかねー、まあおっさんなら大丈夫でしょ」
とこともなげに・・・
ムムまたどこかで聞いた言葉。フラッシュバック!
そうだヒマラヤの軽いトレッキングの後、カトマンズ空港(写真)での言葉だ。
そのまましばらくカトマンズに滞在するとおっしゃる矢崎師匠が空港で、バンコック乗換で帰路に就くことになった不安なおっさんにかけてくれた軽い一言だった。
どこが大丈夫なのか?
中学生並みのたどたどしい英語力の五十過ぎのおっさんが何のつてもなく、
心細い所持金でひと月余りインドで暮らすなんて想像すらつかない。
「そうですね・・・」
不安と動揺を樹齢五十年という面の皮に隠しこともなげに答えている見栄っ張りのおっさんて危険だなー。
その夜、机の上に広げたガイドブックを見ながら、どこの町を訪ね、どんな宿に泊まり、何を食べるのか、もうすっかり一人旅を楽しんでいる怪しげなおっさんがいた。
インドの初夜は・・・
そんなこんなのドタバタの結果、おっさんは一人、
一月のデリー空港(写真上)に降り立っていたのだ。
現地時間で午後11時。
だだっ広い港内を出国ゲートに向かいながら、
旅行代理店の岡さんの話を思い出していた。
「僕らが今一番降りるのが嫌なエアーポートがデリー空港ですよ。
特に夜着いた時なんて最悪。
タクシーなんかに乗ったらどこ連れて行かれるかわかったもんじゃないし、
空港のプリペイドタクシーだって怪しいものですよ。
とにかく朝まで空港から出ないか、ホテルに予約を入れて送迎の車を出してもらうか、
どちらかですよ」
おっさんは迷うことなく後者を選んだのだ。
せっかくのインドの最初の夜を空港のベンチで過ごし、朝を迎えるなんてとんでもない。
最初の日は少し張り込んで中堅クラスのホテルを予約し、車で迎えに来てもらおう。
朝、目が覚めたらホテルの近くの公園を散策し、通りの露店でチャイを飲み、
サモサを頬張る。
おっさんはその時初めて舌先でインドを感じる。
そんな朝の予定が胃の中にすっかりインプットされてしまっているのだ。
無事出国手続きを済ませ、
空港の出口ゲート(写真中)に向かう。
なんだこの人だかりは。
まるで有名人を出迎えるように
通路の左右は200人ほどのインド人が・・・
よく見ると彼らはそれぞれ人の名前とホテル名を
書いたカードを持ち、白い歯をむき出して一斉にこちらを見ているのだ。
むむ・・・なんだこの異様な迫力は。
おっさんは彼らの迫力に気押されしないように、
ゆっくりと彼らが指さすカードを見て回る。
たしか昼間台北空港から電話予約したホテルはナマステ・ゲストハウスだったよな。
出迎えのインド人たちの顔いっぱいの迫力の愛想笑いにたじたじしながら・・・
1度ぐるりと見て回ったが見つからない。
こんな数のカードの中から自分の名前を探すのは大変だよな。
おまけに手書きの下手なアルファベットだし。
と思いつつ、2度目も見つからない。
3度目はしっかりカードを1枚ずつチェック。
ない!
ない!!!
ない!!!!!
まさかと思いつつナマステ・ゲストハウスへ電話を。
「あのう、今日予約を入れた日本のおっさんだけど・・・
今デリー空港に着いたんだけど、迎えが見つからないよ」
「ああ迎えね。今夜はもう遅いからホテルまでタクシーで来ればいいよ」
なななんだ・・・・・・・・・・・・・
おっさんが頭の中から英語の抗議の言葉引っ張り出そうとおたおたしてる間に、
相手はさっさと電話を切ってしまった。
これが噂に聞いたインド式なのだ。
なんという。。。
怒りよりもあきれるよりも、なんとなく納得。
1ヶ月間この調子に慣れなければやっていけないんだ。
出迎えのインド人と無事めぐり合った幸運な旅行者たちはそれぞれに空港から
出発していき、人だかりもずいぶん少なくなった出口付近で、
どうしようかと思案気に立ちつくしているおっさんに、
東京から来たというデグチさんが声をかけてきた。
彼は台北からの飛行機の中で隣の席にいた
30代の男性の旅行者で、
空港内の待合室(写真下)に泊まるとのことで
先刻別れたばかりだった。
事情を話すと、それではご一緒にってことで同伴者のトモコさんと3人で
空港2階の有料待合室で一晩を明かすことに。
この時点でおっさんの描いた朝の散歩とチャイとサモサの予定は見事
にキャンセルになったのだ。
ところがインドはそれだけでは足りないのか、追い打ちをかけるように
おっさんのカルチャーショックにさらに揺さぶりをかけてくるのだ。
インド初夜の攻防戦は
「へーい????○○○○」
3人の日本人が待合室に向かう階段を昇り始めた途端、目つきの良くない2人のインド人に声をかけられた。
もっともインド人ってみんな目つきが悪いか、いやらしそうに見えるのは、見慣れていないせいなのだろうか・・・
インド人にお友達はいないけれど、名前のほうはともかく名字のほうはおっさんのことらしい。
そうだとうなずくと2人は3人の行く手を塞ぐように立ちはだかった。
そのうちの背の低いずんぐりしたインドおやじが、奇妙な愛想笑いを浮かべながら
話しかけてくる。
「われわれはナマステ・ゲストハウスから迎えにやってきた。
さあ一緒にタクシー(写真)に乗って行こう」
「あなたたちはホテルの人か?」
「そうだ!」
いかにも怪しげな笑顔で答える。おかしいよ。
今、ホテルのおやじはタクシーで勝手に来いって電話で行ったばかりなのに。
それにしてもこの2人、どうしておっさんの名前を知ってるの?
いやいやそれよりもいくら日本人の旅行者が少ないとはいえ、
このだだっ広い国際空港でおっさんをよく探せ出せたものだ。
まるでおっさんの指名手配の顔写真が出回っているみたいに。。。
怪しい!
このインドおやじの笑顔が怪しい!
このインドおやじの声が、服装が、身振りが、絶対怪しい!
おっさんの体内に埋め込まれた高性能危険センサーの針が振り切れている。
「僕は今夜ここの待合室に泊まるよ。ナマステ・ゲストハウスには
明日の朝行くことにするよ。ありがとう」
おっさんは天使のような笑顔を浮かべながら、彼らのらのダブルディフェンスを
秒速ですり抜け、有料待合室に滑り込んだ。
セーフ・これで安心。
「あいつら絶対怪しいやつだよね」
夕食代わりにデグチさんからいただいた機内食の残りのクッキーを頬張りながら、
堅いベンチでくつろいでいたら、
ギョ!
ギョ!
ギョ!
インドおやじがおっさんとはまるで昔からのお友達ですっていうような笑みを、
髭の下の紅い唇に目いっぱい張りつかせて立っているではないか。
「明日は何時にナマステ・ゲストハウスに向かうのかい」
「僕がタクシーでみんなを送ってあげるから」
「ノープロブレム。だいじょうぶ、だいじょうぶ。朝までここで待っていてあげるから」
インドおやじは待合室の入場料20ルピー(約50円)払って勝負に出てきたな。
ここは作戦変更だ。
おっさんはデグチさんとトモコさんに素早く目配せをした。
「明日はこの二人とパキスタンの国境まで列車で行くことになった。
だから残念だけどホテルはいらないよ」
インドおやじはモシャモシャ髪の頭をひねりながらしばし考えていたが、
メモ用とボールペンを貸してくれという。
そのメモ用紙に英語と数字でなにやら書き込んで差し出した。
ホテルの宿泊をキャンセルしたので30%のキャンセル料を払えということと
その計算式が書いてあった。
なるほど今度はその手で来たか。
それなら最後の手段だ、
この時から3人は突然、英語が読めない、喋れない、聞き取れないの言語三重苦の
旅行者になったのだ。
しばらくの押し問答の末、インドおやじは全く言葉の通じない日本人旅行客を諦めて
やっと解放してくれた。
その間なんと3時間。
ご苦労様でした。
ところでこのようなインド人詐欺師の最大の武器は時間です。
彼らは日々お忙しい日本人に比べはるかに多くの時間を持っています。
その時間という武器でのんびりと根気強く攻めてくる。
そのしつこい時間波攻撃の前に短気な日本人はなす術もなく屈服してしまうのだ。
旅行者のみなさーん、
くれぐれもインドおやじの時間波攻撃には気をつけよう。
やっとインドでチャイが飲めたょ
200人ほどが収容できるデリー空港の有料待合室の
堅いベンチの上でインドの記念すべき一夜は
明けていった。
まだ夜の帳は残っているものの、外では確かに
朝の喧騒が始まっていた。
そろそろニューデリー駅行きの始発バスが出る時間だ。
その前にトイレを済まそうとおっさんとデグチさんは、
待合室の奥にある公衆トイレに向かう。
なんだなんだ!
このアサガオ(男子のおしっこ用の便器のこと)の高さは。
おっさんは日本人としては背は高いほうではないが、インド人だってこの便器で
楽に用を済ませられるほど背の高い人ばかりじゃないはずだ。
なにくそっと見栄を張り、つま先立って頑張った。
おっさんより背の低いデグチさんは大便用トイレで穏便に済ませた。
インド人って見栄っ張りなの???
まだ明けきれぬ街並みを、年季の入った老人のようなバス(写真上)は
車体をブルブル震わせながら、ぶっ飛ばして行く。
幸いまだ朝早かったせいか座席に座ることができた。
道路の両脇には屋台の明かりが見える。
何を売っている店だろうって、キョロキョロしてたら、
突然、鉄くずを引っ掻くようなブレーキ音を軋ませてバスが止まった。
座席から振り落とされそうになるのを辛うじて堪えたおっさんたちの前を、
夜明けの象がゆっくりゆっくりと横切って行った。
アアここはやっぱりインドなんだなぁ、
なんてあらためて納得している3名の日本人がいた。
バスはすっかり夜が明けたニューデリーの駅(写真中)に着いた。
人口10億をあっさり越えているインドの首都の駅
ということで、それなりの建物を想像していたが、
ここでもおっさんの日本的ジョウシキは
簡単に覆させられた。
決して綺麗ではない、いやいやハッキリいえば汚い、
そして古ぼけた駅舎とその周辺には、どこから集まってくるのか
彼らは日本の都会のラッシュ時のようにドンドンどこかへ流れていくのではない。
インド人はドンドン集まって、
そしてここに巨大なインド人の淀みを作っていくのだ。
とりあえず当初の目的であった、インドの朝の
チャイを飲もうと3人はウロウロと・・・
*気になったら クリック
食堂の前で客引きをやってる、あんちゃん。
旅行者と見たらボリそう。
この屋台やたら不潔そう。
ここのおやじ怖そうな顔だし・・・
なんてキョロキョロしていたら、目の前に口ひげの下に満面の笑みを湛えた
チャイ屋のおやじ(写真下)が立っていた。
そうしておっさんは記念すべきインドのチャイをついに飲んだのだった。
チャイ屋のおやじが慣れた手つきで淹れてくれた5ルピー(約12円)のチャイは
熱くて、
甘くて、
いつの間にか必要以上に緊張していたおっさんの肩と心を優しくほぐしてくれたようだ。
デリーの耳掻きおっさん
ニューデリー駅でデグチさんたちと別れた。
彼らはパキスタンの国境まで列車で行くそうだ。
二人を見送ったおっさんは、駅前のあまり衛生面や治安の良くない(とガイドブックに書いてあった)パハルガンジー地区(写真)で宿を探すことにした。
おっさんの天の邪鬼的感直感なのだが・・・
静かで、快適な設備の整った近代的中級ホテル、1泊450ルピー(約千円)というガイドブックの紹介で探し当てたHOTELビクトリーがおっさんのインドの最初の宿となる。
ガイドブックのうたい文句をそのまんま信じたわけではないが、窓がなく外の喧騒は聞こないが、お湯が出ないシャワーが付いており、骨董的価値はありそうな映りの悪いテレビ、部屋の空間のほとんどを占めている3~4人は横になれるクッションのない巨大ベッド。
誰がどのような見方をすればこんな紹介文が書けるのか大きな謎だ。
とはいってもこの価格、迷うことなくチェックイン。
インドの安宿はほとんどがそうだが、いつでもチェックインでき、その24時間後がチェックアウトとなり、便利で合理的だ。
おっさんは昨夜の睡眠不足を補うべく、その馬鹿でかいベッドに横になり、数秒で眠りに落ちた。
目が覚めた、突然目が覚めた。
2~3分の間だったのか、それとも数時間眠ったのか。
空腹感と昂揚感で脳の中から目が覚めた。
さっそくホテルを飛び出して、通りのカフェでパニールのフライ(写真)とホットチョコレートを。
香ばしいチーズの香りと、とろみのあるチョコレートの甘さが南国のむせかえるような暑さと一緒に空っぽの胃の中に広がっていった。
腹ごしらえを済ませ、オートリクシャ―(写真)(三輪の小型タクシーみたいな・・・)を拾ってコンノート・プレイスへ向かう。
ここコンノート・プレイス(写真)は近代的なビルが立ち並ぶビジネス街や店舗、レストラン、ホテル、それに映画館などが集まった環状の道路に囲まれたデリーの中心地だ。
街をぶらつき、本屋でインド料理の本を3冊買い求め、公園で一休みしていた時である。
まさに怪しげな魔法使いのようなおっさんが話しかけてきた。
客引きかなにかだろうと思ったら、その魔法使いは耳の掃除屋だとおっしゃる。
耳は清潔にしているからと丁重にお断りすると、王様のような立派な口髭の前で人差し指を立て、紅い唇を尖らせてチッチッチッって。
この耳掻きおっさん、すっかり骨董品になった怪しげな緑色の手帳を差し出し、日本のおっさんに読めという。
「このおじさんは怪しそうだけど実はインドの耳掻き名人だ!」
「このおっさんの耳垢取りの技は驚きである」
「出てくる出てくる。恥ずかしいくらいに耳糞が取れる」
などなど、古ぼけた手帳には似つかわしくない、若い旅行者と思われる、丸っこい日本語の文字が躍っていた。
「わたし耳糞取りの名人だよ~ん。あなた超ラッキー!今日はタダで耳糞とってあげる」
タダほど高いものはないという日頃の戒めをすっかり忘れて、おっさんはつい耳を差し出してしまった。
この耳糞名人は肩にかけたズタ袋の中から、耳掻き七つ道具を取り出し、なにやらおっさんの耳の中をゴチャゴチャやっていた。
しばらくして
「はいどうですか!」
ゲ!ゲ!ゲ!嘘だろう。
得意げに差し出した耳糞名人の手の平に小指の爪の大きさほどもある耳糞の塊が5、6個も転がっているではないか。
ありえない、これなんかのトリックじゃないの。
耳糞名人はすっかり動揺しているおっさんの目をじっと見据えて
「あなたの耳の中は非常に汚い!」
とばっさり切り捨てた。
すっかりたじろいだ日本のおっさんに耳糞名人はおっしゃった。
「ここでは完全に綺麗にすることはできない。私の部屋まで来てください」
気の弱い旅行者だったら、耳糞名人の威圧感に押しまくられ仕方なく従うところだろう。
だけどおっさんだって耳糞名人と同じくらいおっさんなんだ。
負けちゃいられない!と訳のわからない競争心が・・・
「部屋にも行かないし、もう一方の耳の掃除もしなくていい!」
きっぱりと断った。
するとこの耳糞名人は
「片耳だけ掃除のお礼がほしい。。。」と小声でしおらしくおっしゃった。
そのしおらしい豹変ぶりにおっさんはつい
「いくら?」
「800ルピー(2000円)!」即座に返ってきた。
ばばばば馬鹿な。800ルピーっていったらおっさんの8日分の夕食代だし、チャイなら160杯も飲めるんだぞ。
おっさんは貧乏だから払えないと、そう言っても耳糞名人はごちゃごちゃと粘る。
昨晩の空港でのタクシードライバーのしつこさが脳裏に甦ってくる。
インドおやじの得意技、時間波攻撃の始動だ。
ここは短期決戦に限る。
おっさんは耳糞名人の白いダボシャツの胸のポケットに100ルピー札を突っ込んで、相手が気をそらせた隙にその場を瞬間移動して攻撃をかわした。
こうしておっさんはまんまとインドの詐欺師に100ルピー(250円)をひっかかってしまったのだ。
コンノート・プレイスの耳掻きおっさんにはくれぐれも気をつけよう!
夕食はパハルガンジー地区のメインバザールにあるマルホートラレストランで。
この店はこのあたりでは一番立派なレストランで、お客は欧米人がほとんどだ。
また数少ないお酒の飲める店でもある。
キングフィッシャー(写真)というインド産の軽めの味のビールを飲みながらチーズナン(チーズが練り込まれたナン)とシシカバブ(スパイス入り羊肉のソーセージ)を。
本当にインドに来ているのだなあという実感を舌先と嗅覚で感じている東洋人のおっさんの姿があった。
最高にうまいバターチキンを食べたぞ!
インドは現在十億を超えた人口を抱え、近い将来中国を抜いて人口世界一位になるだろうといわれている。
インドの都市でも3番目に人口の多い、ここデリーも、ひと、ヒト、人で溢れかえっている。
人口50万人のわが故郷、熊本に比べるとその25倍超、つまり1280万人の人々がこの町に住んでいることになる。
おっさんが宿をとっている、このパハルガンジーのメインバザールという道幅5,6メーターほどの通りも、まるで毎日がお祭りのようで・・・
道の両側のお店はもちろん、いろんな屋台の出店、移動のチャイ売りやピーナッツ売り、その隙間を歩行者はもちろん、オートリキシャやリキシャ(自転車の後ろに人を乗せる座席が付いている)、自転車、バイク、車が何の規制もないこの道路にひしめき合っている。
そのうえそのさらにわずかな空間を押し広げるようにヒンドゥーの神様のお使いであるノラ牛様が優雅に歩き回り、ヤギがノラ犬が・・・もうゴッチャゴッチャ。
この混雑の中でしつこくクラクションを鳴らしながらUターンしようとする無謀なタクシー。
オートリキシャやリキシャは絶え間なくベルを鳴らし続け、通行人に誰よりも大声で声をかけようとするお店の兄ちゃんたち。
外国の旅行者とみれば愛想笑いを浮かべしつこく付きまとう物売りや客引きの男たち。
赤ん坊を抱いて物乞いをする女性。
地面を這いながら哀れを訴える足の不自由な青年。
無邪気な目をした子供が目の前で手を差し出す。
牛が屋台の品物におしっこをかけているのをなす術もなく肩をすくめて見ている店主。
売り物の野菜をヤギに食われ棒を振り上げるおばさん。
バイクに足を轢かれた犬が怒って追いかける。
呼び込みをしている食堂の男の子の横では、牛の糞で滑り糞だらけで泣いているアジアからの旅行者の少女が・・・・・
こんんなことがこの町で同時に起きても、それは彼らインドの民にとってなんでもない日常の1ページに過ぎないのだ。
おっさんはこの町の喧騒をすり抜け、ニューデリー駅前でオートリキシャを拾いパハルガンジーの東にあるオールドデリーのチャンドニーチョークという商店街へ向かう。
町の喧騒を抜けたつもりが、さらにひどい混雑の中に入って行っていると気がつくのにさほど時間はかからなかった。
片側4車線の道路にバスやトラック、乗用車が大渋滞。
そのわずかな隙間をバイクやオートリキシャが縫うように走り回る。
信号の姿が見えないこの道路の1メートルほどの中央分離帯の上には車の間をすり抜けて、向こう側に渡ろうと、歩行者がひしめき合う。
ひどい場所では片側4車線の車線を全く無視して8台の車が横並びに、こうなるとさすがに小回りのきくバイクやオートリキシャですら動けなくなってしまった。
ありとあらゆる車のクラクションの大合唱の中、おっさんは乗っていたオートリキシャを諦めて、徒歩で商店街へ向かう。
目指すはガイドブックでチェックした、ジャーママスジット南門付近のレストラン「カムリ」
インド人がびっしり詰まったプールの中を、まさにかき分けかき分け泳ぐようにしてようやく目的の店に・・・
レストランっていうより場末の食堂っていう感じ・・・
しかしお昼の時間はとっくに過ぎているのに、店内は満席状態だ。
合席をお願いして、あらかじめ胃袋と相談して決めていたバターチキンとチキンカレーを注文。
全メニューにハーフサイズがあるので助かる。
ただイスラム教寺院の前ということもあり、ビールがないのが残念だ。
「すごい!これは・・・」
最初にでてきたチキンカレーを一口。
後の言葉が出てこなかった。
さらに一口。
絶妙にブレンドされたスパイスたちが、骨ごとブツ切りにされたチキンの味を押し上げるように、舌の上でステップを踏む。
ワイルドな香りがおっさんの鼻孔を押し広げながら侵入してくる。
思わずむせかえるが、それでいて妙に愛しい香りだ。
嗚呼・・・・・至福!
2皿目のバターチキンに手を伸ばす。
ジックリとスパイスとヨーグルトに漬けこまれたチキンをさらにトマトとバター、生クリームで煮込んだこの手の込んだ料理は、絹布のような柔らかな舌触りとスパイスのほのかで優美な香りが一つの小宇宙を作り上げていく。
そのあまりの心地よさにおっさんの顔の筋肉がトロリととろけ出す。
嗚呼・・・・・嗚呼・・・・・至福!
追伸
この絶品2品とミネラルウォーター(1リットル)を付けて180ルピー(450円)とは。
感動が言葉にならない。
料理は値段やお店の品格とは全く無関係だということを再確認させられた。
スパイス屋のマサラティはスゴーイ!
パハルガンジーのメインバザールはニューデリー駅から西にのびた通りだ。
通りの両側には衣類や生活用具、食品店、お土産店が連なり、その間にはレストラン、カフェ、ホテルが密集している。
その通りから左右に枝分かれした迷路のような小さな小路にも食堂やゲストハウス、なんだか訳のわからない怪しげなお店が軒を連ね、こんな通りまで道いっぱい人々がひしめき合っているのだから呆れる。
このメインバザールの南側に伸びている小路は食品市場になっており、野菜、果物、肉、魚、それにスパイスを扱った店や屋台が並んでおり、威勢のいい掛け声が客足を止めさせる。
まさにインド人の庶民の台所といったところだ。
おっさんはこの通りが大好きで、メインバザールの奥にあるホテルへの行き帰りはもっぱらこの道を通ることにしている。
この通りでは特に野菜売りが多い。
インドの野菜は意外に思うかもしれないが、非常に豊富で種類も多い。
茄子、ジャガイモ、トマト、胡瓜、南瓜、瓜、玉ねぎ、ほうれん草、トウモロコシ、しし唐などなど日本でもお馴染みの野菜が勢ぞろいしている。
しかもその野菜の種類が多く、同じ茄子でも大きさや形、色などバラエティに富んでいて、見る者を飽きさせない。
これらの食材ひとつひとつにそれぞれ多くの調理法があり、それに合わせて無数のマサラ(混合スパイス)があるようだ。
インド料理のレシピの豊富さとスパイスの天文学的数の組合せにただただおっさんは唖然とするしかない。
この通りにも数件のスパイス屋が店を開いている。
戸板1枚ほどにスパイスを広げている露店もあれば、住まいの前にざるに盛ったスパイスを並べている店もある。
客はそれをその日使う分だけ小さな天秤ばかりで量ってもらって、お猪口一杯分ほどを買い求めている。
おっさんはこの道を何度か通るうちに、一軒のスパイス屋のおやじと仲良くなった。
最初は旅行者などめったに足を踏み入れることのないこの通りをウロウロしている不審な東洋のおっさんをいぶかしげに眺めていたおやじだったが、どうやらスパイスに興味がありそうだとわかると、やおらなんだかんだ片言の英語で話しかけてきた。
「どこから来たんだ?」
「どこに泊まっているんだ?」
「いつまでいるんだ?」
「これからどこに行くんだ?」
「インドに何しに来たんだ?」
ありきたりの質問が一応済むと、おやじは店の奥にいた女房とおぼしき女性に何か怒鳴っていた。
座りの悪い椅子を勧められ、しばらくすると女性が奥から、茶渋で黒ずんだ衛生的という言葉とは無縁であろうマグカップを運んできた。
「俺が作ったマサラティだ。飲んでくれ」
マグカップのあまりの汚さにたじろぎながらおっさんは恐る恐る口を近づける。
一口啜る!!!
途端、その液体は素晴らしい香りをまき散らしながら、おっさんの鼻孔をくすぐり、そして手に持ったマグカップとはあまりにもかけ離れた高貴な甘さが、舌の上で静かな波紋を幾重にも幾重にも広げていくのだった。
インドの強力な太陽熱で煮えたぎったおっさんの大脳を、得体がしれない心地よい爽やかな何かがスーツと通り抜けた。
「どうだい」
おやじはおっさんの表情を見てとると、感想を待つまでもなく得意げに胸を反らせた。
それからおやじは自分のカップのマサラティにおもむろに口を付けた。
その手にした金属製のカップはおっさんが手にしているマグカップよりさらに使いこまれ、かろうじて容器の形を残すほどに変形したものだった。
おっさんはこのマサラティをごちそうになるため、デリーにいる間、何度もこのスパイス屋を訪れることになる。
夕食は例のマルホートラレストランで。まずはパパドをつまみにビールを。
それからアローゴビとクリーム・オブ・トマトをオーダー。
前者はカリフラワーとポテトのエスニック風スパイス炒め。
後者はトマトのクリームスープだ。
このスープは大きめのトマトを形を崩さないように煮込んだものでスパイシーだがまろやかで、トマトの味そのものを引き出している。
お顔を真っ赤にしたトマトがスープの中で身を揺すりながら、早くおいでとおいでとおっさんを誘っている。
ちなみにお値段だが、アローゴビが90ルピー(225円)、クリーム・オブ・トマトが90ルピー(125円)と、これまた美味しいお値段でした。
食後にインドのラム酒、オールドムンクを飲みながら、今夜も幸せな夢が見れそうで・・・
水パイプを吸った。。。
パハルガンジーのHOTELビクトリーをチェックアウトし、コンノートプレイスへ向かう。
途中、露地裏の店で朝食をとることに。
通りかかったこの店先で、ちょうどサモサを揚げているのが見えたからだ。
揚げてのほくほくサモサをチャイで流し込み120%の満足度が9ルピー(23円)とはごめんなさいの世界だ。
オートリキシャを使いコンノートプレイスのHOTEL Blueにチェックイン。
ビルの屋上にあるホテルで日光浴ができるテラスがあるといううたい文句だが、酷暑のインドで日光浴なんかしたら、小一時間でおっさんの干物ができてしまう。
部屋は、というより小屋という表現がぴったりで、古くて狭くて汚くて、ドアすらまっとうに閉まらない。
そのくせ料金だけはパハルガンジーのHOTELの2倍とは。
町の中心街という立地だからこんなものかもしれないと、おっさんの頭が自動的に環境適正モードを働かせる。
そんな後ろめたさがあるのか、HOTELのボーイたちはすこぶる愛想がいい。
ともかくこのうざったい空間から脱出して、街を探索することに・・・
環状に作られたこの街を囲むように走っている一番外側の道路は溢れんばかりの車の騒音とむせ返る排気ガスで充満している
こんなに混雑する道路なのに、なぜか信号がほとんど見当たらず、人々は走っている車と車の間を縫うように、反対側に渡っていく。
路線バスはバス停付近に近付くと少しスピードを落とすくらいで、乗客は走り続ける満員バスから飛び降りたり、飛び乗ったり!!!
女性や小さい子供、慣れない外国人には危なくてとても真似はできない。
この地獄のロータリーを泳ぎ渡り、南に向かって歩く。
ジャンタルマンタルという不思議な名前の、280年前に作られたという天文台あたりをうろつきながら、ランチを食べる時間と腹具合を調整する。
ランチはガイドブックに掲載されていたベジタリアンレストランVegaで。
広い店内には、まだお昼には早いのかおっさん一人。
Vegaスペシャルランチ(125ルピー/320円)を注文する。
カッテ-ジチーズをほうれん草のスパイスソースで煮込んだパラックパニール。
トマトのスープ。
ビリヤーニはナッツや野菜入りのピラフといったところ。
それにナンが付いていた。
味は俗に言ううと上品?で控えめで美味しいのだけれども、何か物足りない。
野球の守備で凡フライをお見合いして落とし、さよなら負けしてしまったような、悔しさでもない、なんか間の抜けた気持ちでレストランを後にする。
それではと頭が環境適正モードに切り替わり、今夜の夕食のための行動に移る。
コンノートプレートを腹ごなしと時間つぶしでひたすら歩き廻る。
この町は金融機関や海外ブランドを扱う店舗、宝飾店、海外からの旅行者向けのお土産店などが多く、旅行者や富裕層の若者たちがショッピングを楽しんでいる。
そしてそれらのほとんどの金融機関や店舗の入り口にはライフルを肩にかけたガードマンが立っているのだ。
その中のお店の一つのミュージックショップに、インド音楽のCDを買いに。店内にはMDやDVD搭載の最新(当時)オーディオ機器やモニターが並べられ来店者で結構に賑わっていた。
2階にCDやDVDのソフトコーナーがあり、おっさんがインドの伝統音楽を探しているというと、店員が5枚ほど選んでくれた。
どんな曲か尋ねると、その店員は新品のCDのパッケージを全部開けて、どうぞ聴いてみてくださいと・・・
すっかり恐縮しているおっさんに一言「ノープロブレム」
1枚だけ買わしてもらう。
残りのパッケージを開けたCDは、そのまま何事もないようにもとの棚に並べられた。
次に誰かがそのパッケージの開いたCDを買う時も彼は同じように「ノープロブレム」で済ますのだろうな。
インドの人って良くも悪くもおおらかなんだと納得するおっさんでした。
近所のお洒落なレストランバーSWAGATで少し早目の夕食を。。。
2階の窓越しに、暮れていくデリーの街並みを眺めながら、ラムシチューをつまみに、ビールとワイン。
貧乏だからよけいリッチな気分になってしまう。
料理のお味は上品といえば上品なんだろうが、なんかインパクトが感じられない。
どうしてだろう?
そんなことを考えながら、ふと見たカウンター。
薄明かりの中にボーっと幻想的な光を放っている紡錘形のガラスの器。
おっさんの好奇心がキングコブラの頭のように持ちあがってくる。
ボーイが水パイプだと教えてくれた。
早速試してみることに。。。
タバコにはいろんなフレーバーがあり、おっさんはミントの香りをチョイス。
ガラスの器の上部に付いている受け皿にタバコと火のついた炭が乗っていて、長いホースの先に付いた吸い口から煙を吸うのだ。
吸い込まれた煙はガラスの器に張られた水を通って、器の上部の空間に集まり、おっさんの口に入ってくるという構造だ。
水中を揺らめきながら上がってくる煙の球は幻想的で、ひんやりとしたミントの香りは洗練された寛ぎを紡ぎ出す。
まるでムガール王朝時代のマハラジャの気分だ。
このお洒落な一服におっさんはすっかり魅了され、後日、水パイプを探すのに夢中になり、結構な時間を割くことになる。
おまけにお土産に2本の水パイプを買ってしまうハメになるのだ。
本日の出費はなんと1545ルピー(3900円)。かなり反省!
五つ星ホテルで入店拒否された。。。
デリーの中心街コンノートプレースでの2日目は、近くの青空マーケットのコーヒーと揚げたパイで始まった。
コーヒーは日本で言うレギュラーとインスタントのNカフェがあり、意外なことに価格は同じかインスタントが高い場合がある。コーヒーの生産量が多いインドではの現象だ。
このマーケットは場所柄、ホワイトカラーのサラリーマンや労働者で賑わっており、日本でいえば駅の立ち食いそばやハンバーガーショップといった趣だ。
経済発展途上(人間の欲には際限がないので常に途上なのだが)の都市の朝飯事情はどの国も似たような活気はあるが、中身は貧相なものだ。
おっさんもとりあえずそんな餌場で腹を膨らませ、オートリキシャを拾って国立博物館へ。
建物は日本の地方都市の古びた図書館といった趣で、入場料はインド人10ルピー(25円)だが、外国人は150ルピー(300円)とかなり不公平感がある。
が、やはりお安い。
館内での写真撮影はOKだが、カメラを持っているだけで別途100ルピー(250円)が必要なので注意が必要だ。
見かけと違い館内はかなり広大で、展示物の数もやたら多く充実している。特に宗教絵画とヒンズー教の神々の彫刻は見ものだ。
また歴代王族が身につけていた宝飾類の展示場は見る価値がある。
この部屋の入口にはライフルを持った警備員がいるが、数十億といわれる宝石類の価値に比べたら明らかに手薄で、泥棒さんでなくても、なんとなくソワソワした後ろめたい気分になってしまう。
館内を夢中で見歩いていたら、いつの間にかお昼の時間を大幅に過ぎていた。
時間の制限がなく、好きなだけ好きなところで好きなことができる、一人旅の良さをつくづく味わっているおっさんであった。
コンノートプレースの中心街に戻り、
KAWALIレストランで遅い昼食を。
チキンカバブバクュとベジタリアンサモサそれからBeerをオーダー。
チキンカバブバクュはアーモンド入り鶏肉のハンバーグといった感じ。
おっさんが想像した通り、スパイシーさがひ弱で、日本のファミレス風な平凡な味になってしまっており面白さが欠けていた。
ベジタリアンサモサといえば、屋台でよくお目にかかる定番メニューでこんなチャンとした???レストランに出てくるには珍しい。
ただ、屋台のサモサは1個4ルピー(10円)ほどなのにここでは25ルピーと6倍以上の値がついている。しかし味のほうはしっかりリーズナブルで屋台のサモサには遠く及ばない。
やはりこのあたりの飲食店は、裕福でしかも味覚障害を持った外国人観光客に合わせた適正な味と価格を提供しているようだ。
おっさんはいつものように夕食のための腹ごなしに、付近を歩きまわることに。ガイドブックで調べた史跡や物産館、お土産品店、骨董品店など・・・お腹は一杯なのに、頭の中は夕食の期待ですでに空腹状態なのだ。
今夜は最高に奮発して、デリーでも最も高級なホテルIMPERIALの中にあるレストランSPICE ROUTEのディナーを。南インドで人気のケーララ料理におっさん
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の過剰な期待が唾液となって口の中に溢れてしまう。
ホテルIMPERIALはデリーの中心街にあるのだが、広大な森に囲まれて、そこだけが別世界だ。その''ホテルの建物に続く森の路を、一人歩いていたら突然、守衛に呼びとめられた。不審気な彼に
レストランSPICE ROUTEに食事に行くのだ
と告げると、おっさんの前に立ちはだかって、
NO!
ここは五つ星のホテルである・・・・と
いや食事に行くだけだから・・・と説明しても
NO!
ここは五つ星ホテルである!
恥ずかしいから使いたくなかったフレーズ
アイアムジャパニーズ
NO!
ここは五つ星ホテルである
押し問答の末結局ここから先へ行く道を通してくれなかった。
つまりおっさんは入店拒否されたわけだ。
森の中の路をなんとも情けない気持ちで引き返しながら、改めて自分の身なりを眺めてみる。
少ししか汚れていないブラウンのキャップからは、伸び放題になった髪が・・・
1週間ほど剃っていないまばらな髭・・・
首には埃よけのバンダナを巻き、今夜のために一番汚れの少ないブルーのセーターを・・・
まだそんなに汚くはないジーンズと今は少しくたびれてはいるが、買ったときは鮮やかだった薄いグリーンのスニーカー・・・
肩からは僧侶がしているような布製の薄茶色の腰バッグをかけ・・・
これって駄目なの???
どうせ味のわからない外国人に食わす料理だ。おおよその味当?はつくというものだ、ブツブツ・・・・・・・・・・・・・・・
食べることどころか入店すら拒否された口惜しさをごまかしながら、イソップ童話でぶどうを食べることのできなかったキツネと同じ愚痴をこぼす東洋のおっさんのつぶやきが森の中に深く寂しく沈んでいった。
結局街角のインド風ファーストフードの店に飛び込む。
会社帰りのネクタイをしたサラリーマンや携帯電話を耳に当てた裕福そうな人々に混じって、チキンチッカをビールで流し込み虚しくホテルへ帰る。
ちなみにチキンチッカとはヨーグルトとスパイスに漬けこんだ鶏肉をオーブンで焼いたもの。
残念ながらおっさんの期待通り?ここのチキンチッカは美味しく感じさせはするが、どこかの国の大手ファーストフードの食事と同様に無感動な代物だった。
デリーのスリは鮮やか過ぎる!
コンノートプレイスのホテルを引き払う。やっぱり下町のパハルガンジーがおっさんには合うみたいだ。
第一料理がうまいし、それに安いしね。
ガイドブックには記載されていないが、メインバザールの北側にあるアラカシャン通りに良いホテルが集まっている。
久しぶりに旅行者らしくリックを背負って歩いていると、ホテルの客引きと称した男たちが群がってくる。
彼らは旅行者がホテルに入るまでしつこくついて来て、まるで自分が客を連れて来たようなふりをしてホテルからいくらかの紹介料をせしめるのだ。
この通りにあるホテルは割と新しく、宿泊料も600ルピー~(1250円~)と手頃だ。ホテルの数も多いので、部屋を見せてもらってから決めるとよい。
今回おっさんはこの通りの中ほどにある6階建てのHOTEL GOLDという大層な名前の中級ホテルに。
このホテルにはエレベーターが備わっており、しかも窓がある。
どういう訳か、デリーのホテルには窓がない部屋が多い。
今までのホテルのなかでは一番ホテルらしいホテルだ。
メインバザールの今や行きつけになったマルホートラレストランでランチを。
マトンカレーとタンドリーローティ、それにドリンクはソルトラッシーをオーダーする。
この店のマトンカレーは羊肉の独特な臭いと奥深いスパイスの香りが複雑に絡み合って、得も言えぬ風味を醸し出す。心地よい宇宙の胎内に漂っているような不思議な懐かしい感覚にさせられる。
タンドリーローティはタンドリーで焼いた未発酵の小麦のパンで、日本の白いご飯のようなもの。
料理の味を支える内助の功のような役割だ。
それ自体が美味しいナンよりも、それとなく料理を引き立てるタンドリーローティの慎ましさがおっさんは好きだ。
ソルトラッシーは砂糖の代わりに岩塩を入れた、さっぱりしたヨーグルトドリンクで酷暑のインドの塩分補給にはうってつけだ。
これらぜーんぶ合わせて98ルピー(約250円)だから驚きだ。
何といっても昨日までビール一本100ルピーも払っていたのだから。
おっさんの舌も心も懐も大満足のランチでした。
久しぶりのメインバザールをあちらこちら歩きまわる。
なんとなく故郷に帰って来たみたいで、心が軽い。
馴染みになった古本屋の店主やスパイス屋のおやじの、いかにもこの日本人と知り合いなんだぞ、っていう挨拶や笑顔が心地よい。
夕食はニューデリー駅前で探しておいたレストランバーTRVE BLUEで。
照明を落とした狭い店内だが、陽気なインド音楽とインドのおやじ達や仕事帰りのサラリーマンで溢れかえっている。
数少ない地元の男どもの社交場ってところだ。
ベジタブルプラターとビールをとりあえずオーダー。
パニール(牛乳を固めた発酵させてないチーズ)と野菜のスパイス炒めで、ボリュームがあり、味もイケる。ビールのつまみにちょうど良い。豆腐と野菜の炒め物という感じで、意外に日本人の味覚にも馴染むかも。
ネパール出身のポリス、バルベジMDさんと相席になる。彼は本来はベジタリアンでお酒も飲めないそうだが、今夜は大丈夫だとか・・・おっさんには理解できかねる論理だが、とりあえず今一緒に飲んでいるのだから深くは聞かないことにした。
ビールとラム酒ダブル、食事で260ルピー(650円)で至福のひと時が過ごせた。
翌朝十時過ぎに国立現代美術館とスンダナガールマーケットへ。
途中、街角の小さな食堂で遅い朝食をとることに。
隣のテーブルのサラリーマン風のお兄さんがタオルをくるくる巻いたクレープみたいなものを頬張っている。
なんだろう?
おっさんの好奇心がまたムクムクと・・・
店のおやじに同じものをオーダーする。
このタオルのくるくる巻きはマサラドーサといい、南インドの屋台料理だ。
レンズ豆のパウダーで作った大きなクレープに、スパイスで炒めたジャガイモをのせ、くるくるまいたもので、30センチほどの長さのものだ。このマサラドーサに冷たいココナッツスープと熱いスパイシースープが付いている。
別にチャイを注文して25ルピー(約60円)!
怒りたくなるような安さと美味しさだ。
こみ上げてくる幸福感をチャイと一緒に飲み干す。
ああ至福!
インド門の近くにある国立現代美術館は入場料150ルピーの割には展示物が少なく、拍子抜けだった。ざっと見渡すように観て、歩いてスンダナガールマーケットへ。
このマーケットはあまり大きくなく、賑わってもいないのだが、骨董品の店が集まっており、おっさんの好奇心をくすぐる。
骨董品に興味のある人なら一度は行ってみることをお勧めする。
おっさんもほとんどの店舗を見て回った。
疲れたのでマーケットの中にある喫茶店に入る。
メニューの中にぜひ一度は食べてみたかったクルフィとジャグジーラというドリンクがあったのでオーダーしてみる。
クルフィはインドの牛乳で作られたスパイス入りアイスキャンディといったもの。
この店のクルフィは香り系のスパイス(多分、カルダモン、シナモン、ナツメグ)が効いていて、甘いがとても爽やかな気分にさせる。
ジャグジーラはライムジュースにスパイスと岩塩で作られた、リフレッシュジュースという説明だった。
スパイスはジーラと名付けてあるのでクミンとタマリンドが使用されているようだ。
味はといえば、酸っぱさとしょっぱさがクミンの香味と混じり合って、口内を蛇行しているようで、日本人の舌にはあり得ない味覚だ。
多分、真夏のインドの狂ったような猛暑の下では、十分そのリフレッシュさを発揮してくれるのだろう。
ホテルに帰る途中、昨日見つけたレストランバーTRVE BLUEへ、再び。
ラムティッカを肴にビールとラム酒を。
ラムティッカとは仔羊の肉をスパイスとヨーグルトに漬け込んで、オーブンで焼いたもので、羊肉の何とも言えない独特の匂いをスパイスで包んだ野趣味なのにお洒落な世界を皿の上で表現している。
今夜も身も心も懐具合も満足して帰る途中、裸電球が煌々と輝いている店に人が群がっている異様な光景が。
好奇心と野次馬根性が否応なくおっさんの両手を掴んで、店の中へと引っ張り込んでいく。
店の中ではインドのおっさんたちが手に手に紙幣を握りしめ、カウンターの中にいる店員のお兄さんに口々に叫んでいる。
人々の頭越しに覗き込んでみると、なんとこの店は酒屋だった。
日本では酒屋なんて珍しくもないのだが、インドでは初めてお目にかかった。
おっさんもその人混みに分け入り、みんなと同じように、手に100ルピー札を振りかざし、インドのラム酒「オールドムンク」を手に入れた。
小瓶で80ルピー、得した気分と達成感で店を出るが、なんか違和感が。
あわててチェック。
見ると、いつもズボンのベルトに付けているカメラケースのファスナーが開いていて中のデジカメが消えている!
ない!
ない!
すぐに店内に引き返してみたが見つからない。
やられた!
明らかにスリにやられたのだ。
ほんの2~3分の間の出来事だった。
半世紀もの人生でスリにやられたことなど皆無で、体内に高感度セキュリティシステムを内蔵しているはずのおっさんが。。。。。
全く気がつかないなんて・・・
インドのスリは凄腕なんだ!
カメラは仕方がないとしても、つい先ほどまで撮りためていた珠玉の料理の数々や博物館の内部の写真が残念で残念で仕方がない。
まあパスポートやトラベラーズチェックが無事だったことで良しとしよう。
そう思いながらホテルの部屋で飲むこの「オールドムンク」は複雑な味がした。
列車の車内食は豪華だった
朝、ホテルのベッドで目覚めたら体がだるい・・・
喉も痛くて咳が止まらない・・・
ちょっと寒気がするのは、もしかして風邪?
デリーは内陸性気候で昼間は冬でも暑いくらいなのだが、夜は結構気温が下がる。それに街の埃っぽい外気が原因なのだろう。
どこか空気のきれいな温暖な所に行こう。
防御本能と好奇心がおっさんの気持ちをはやしたてる。
ベッドの上にインドの地図を広げる。。。
海のそばがいいな。
海鮮料理も食べたいし・・・
波の音も聴きたいし・・・
なーんて考えていたら、ありました。
現在地デリーから南西へ約1000km、インド亜大陸に飯粒みたいにぶらさがって、アラビアに浮かぶ島、ディーウ。
思い立ったら吉日。
超せっかちを自認するおっさんは、さっそく途中のアーマダバードまで行く列車の予約をしにニューデリー駅の外国人専用予約センターへ。
この手の事務手続きは要領が悪く、時間がかかるものなのに、あまりのもスムーズにチケットが買えたことがかえって不安を募らせた。
それでもとりあえず用事を済ませ、ブランチをとりにメインバザールに。
この時間帯に開いているレストランは少なく、たまたま開いていた食堂でターリーを注文。
ターリーとは金属製のお盆のような食器で、その上に数種類の料理が直接よそおってあるか、カトリーという小さな金属の器に入れて出されるかされる、いわばインドの定食といったものだ。
この店のターリーは例に漏れず、ボリュームがありしかも安い。
今日の献立はチキンカレーと野菜のカレー、豆とパニールをココナッツミルクで煮込んだもの、それにサラダ、ライス、パパドそれにナンまでついたお値段で130ルピー(325円)だ。
パパドとはインドのスパイス入り煎餅といったところ。
この店の豆とパニールのココナッツミルク煮込みは、辛みがなく、マイルドな味付けでかなり高得点の一品だ。
ホテルに帰って、明日の準備を・・・
持っていく荷物は肩掛けの布袋の分だけ。あとはホテルに預かってもらうことに。
あれこれ準備や調べ物をしてるうちにもう夕食の時間に。
今夜はアラカシャン通りの屋台料理にトライ。
いつも客が行列を作っている気になっていたケバブ屋台でシシケバブとチキンケバブを。
その近くの別の屋台でチャパティを。
チャパティというのは小麦粉の未発酵の薄いパンで、北インドでは家庭で一般的に食べられている。これが1枚1ルピー、約2~3円だ。
デザートにアイスクリームを買い求め、ホテルの部屋で食事をすることに。
昨夜デジカメを犠牲にして買い求めたラム酒「オールドムンク」もあり、なんともリッチな晩餐となった。
この屋台のシシケバブは紛れもない絶品でした。
翌朝、疑い深いおっさんは昨日の列車の切符の確認にニューデリー駅に。
その帰り、構内の通路で日本人らしい男女3人とインド人の男が何やら話していた。
なんとなく怪しい匂いが・・・
声をかけてみた。
案の定、外国人予約センターの場所を尋ねた旅慣れぬ日本人の若者を、このインド人の若者はどこか別の所に連れて行こうとしていた。
駅や宿泊施設の周りでは良くある話で、旅行者が場所を尋ねると、誠意のあるふりをしたインド人は溢れるばかりの笑みを浮かべて
「そんな所はないよ」とか
「もう閉まっているよ、来週しか開かないよ」
「先週、火事で燃えてしまったよ」
なんて平気でわかるようなウソをつくのだ。
そしてそんなウソにいとも簡単に引っかかってしまうのが日本人らしい・・・
彼らはそんな単純な日本人を、悪質な旅行代理店に連れて行き、いくらかの謝礼金をもらい、愚かな旅行者は法外な旅行チケットを売りつけられるのだ。
おっさんの唐突な介入に、いつの間にか親切なインド人は消え去り、お人好しの金づる日本人旅行者は無事予約センターにたどり着けたようだ。
列車の出発時間は夜の7時なので、暇つぶしにメインバザールをうろつく。古本屋で読み終えた日本の文庫本4冊と1冊の文庫本と物々交換し、外に出たら先ほどの金づる日本人の3人とばったり。
せっかくだからということで、近くの食堂でランチを。ビリヤーニをオーダー。
この料理はピラフにナッツやドライフルーツをまぶしたもの。
インドで何度かお米を食べたけれど、おっさんの口には合わないみたい。日本の米は、米そのものの美味しさと、その調理法によるものだろう。
日本での炊きたての白米が恋しくなる。
インドで久しぶりに日本人と会い、日本語での楽しいお話のはずなのに、おっさんの心は弾まない。やっと食事を終え、日本という絆から解き放たれてホットしたおっさんは、しばしのお別れと、いつものスパイス屋を訪ねる。
あいにくおやじは留守ということだったが、奥さんと娘がいて椅子を勧めてくれ、いつもの素晴らしいチャイを御馳走になる。
馴染みになった爽やかな香りが鼻腔を通り抜けて、おっさんの脳細胞にその香りを振りまいていった。
スパイス屋の家族とは言葉は通じなくても、否、言葉が通じないからこそ、ピュアに触れ合えるものを感じられるのだろう。
彼らはおっさんが旅立つことがわかると、なんと、門外不出のはずのこの店のチャイマサラとガラムマサラの作り方を教えてくれたのだ。
すごいお土産だ!
ありがとう。
ニューデリー駅へ向かう。
出発までまだ2時間も時間があるのだけれど、おっさんは列車の出発掲示板の前で目を凝らしていた。おっさんの手にしている切符の列車番号が、駅構内の出発時刻案内板や手にしている列車時刻表に記載されていなかったのだ。どうやら臨時列車らしいが・・・
出発掲示板に乗車予定の列車番号がでるまで、これは外国人旅行者を騙す手の込んだ詐欺ではとか、駅員の単純なミスではとか、金縛りにあったような不安な気持ちでそこを動くことができなかった。
インドの駅には改札口がない。
だから誰でも列車に入ることができる。列車が走りだしてから車掌が切符のチェックに来るだけで、すこぶるシンプルだ。
おっさんの乗り込んだ列車は、何の車内放送もなく、出発の合図すらなく、いつの間にか走り出していた。
無責任といえばそうだし、大人だと言われればそうだ。
日本という国が神経質な大人の顔をしたこどもだとしたら、インドは無邪気な子供の顔をした大人というところだろう。
おっさんが乗り込んだ列車は寝台特急で利用者は主に中流クラスの人々だ。
同席になった人はサラリーマンらしき人で、しきりに携帯電話でまくし立てている。どこかの国と良く似た風景だ。
車内のサービスはすこぶる良い。
まずは温かなおしぼりと1リトルのミネラルウォーターのペットボトルが一人ずつに配られ、しばらくするとお湯が入ったポットとチャイのティパック2個、それにビスケットが。
その後が夕食だ。
ベジタリアンとノンベジとが選べる。
おっさんはノンベジを選ぶ。
献立はチキンカレーと金時豆のスープ、野菜カレー、チャパティ、プラオ、サラダも付いている。デザートはアイスクリーム。
味もボリュームもなかなかのものだ。
こんなところにも手を抜かないインド人の食へのこだわりを窺い知ることができる。
食後のチャイを飲みながら、思いがけない列車内での嬉しい食事に、顔の筋肉も心の筋肉も緩んで、おっさんは車窓を塗りつぶす異国の夜に穏やかに溶け込んでいった。